顔すら思い出せない人のおかげで生きてこれた32年。母子家庭で良かったと心から思えること。

気づけば今年で32歳という歳になろうとしている。

周りの同い年の子達は今何をしているのだろう?
もっというと、何を感じながら生きているのだろう?
そんなことを思う。

僕には小学生の頃、なりたかった夢が2つあった。
それが、

1.サッカー選手
2.かっこいいお父さん

体が小さく、細かったこともありケガの繰り返しでサッカーが出来なくなって、
サッカー選手の夢は無くなったけれど、
それからというものは、もう一つの夢を考えて生きてきた。

幸運なことに僕は母子家庭だった。
ずっといなかったわけでなくて、
小学生の頃、朝起きるといきなり母からこう言われた。

「今日からうちにはお父さんはいません」

頭の中にザザーッとテレビの砂嵐のような音がしたのを覚えている。

それからというもの、ずっと頭の中に生きていた父親の顔を忘れ、声も忘れ、
出かけたことも、遊んだことも本当に今となっては何一つ覚えていない。

母と祖父母、男3人兄弟。
これが僕の家族だった。

“家族でご飯を食べる”ということすら忘れてしまい知らない。
“父親と遊ぶ”という記憶もなくなりどんなものだったか、どんな感情だったかもない。

ある日突然父親と生き別れたという出来事は、想像以上に子供の僕にはインパクトが強かった。

けれど、ネガティブはポジティブを生むもんだ。
ちょっと普通と違う家族だったおかげで当たり前なものが夢になった。

もちろん最初からそんな風には思えなかった。

本当はとっても恨んでいた。
殺してやりたいと思っていた。
お前のせいで僕たちは心の中が空っぽですと怒鳴りたかった。

社長になりたいとか
公務員になりたいとか
そんなことを考えるよりも

自分たちを捨てた父親に、
母親と弟達と幸せそうに笑っている姿を見せつけてやりたかった。

そんな感情が99パーセント。

残りの1パーセント。

それは、

お父さんという未知なものにずっとずっと憧れていた。
どんなものだろうと興味があった。
家族というものを本当に知りたかった。

そんな1パーセントの感情が人生をガラリと変えてくれた。

普通の人の当たり前が無かったおかげで、
自分なりのカッコいい父親と言うものを常に考えて生きた。

・世界をたくさん自分で見て回る
・最高と最低を経験して話せる
・人に雇われずに生きてみる
・世界中に友達がいる
・世界一愛してるを毎日伝える

挙げだしたらきりがないけど、
“かっこいい父親リスト100″なんてものを考えていた。

数年前、僕の中に大きな変化をくれた出来事がある。

大好きな仲間たちに囲まれて、みんなの前で自分の誕生日に母親へ

「産んでくれてありがとう。辛いこともあったけど、そのおかげでカッコいい父親になりたいと思えた」

と泣きながら伝えた。

許せなかった存在のおかげで、そばにいてくれる人への最大限の感謝が生まれた。

世界一尊敬する人が自分の母親に変わった。

そして殺してやりたいと思っていた顔も覚えていない父親に、
“この世に生をくれてありがとう”と思えるようになった。

32歳になる今年。
僕が感じていることは、本当に人生は楽しいということ。

もちろん嫌なとだってある。
辛いことだってある。
理不尽なことにあふれている。

けれどそんな瞬間がなければ、生きている実感が薄れてしまう。
本当に大切なことに気づけずに過ごすことになってしまう。

思いがけないことの連続だから人生は楽しい。
起こった出来事に良き悪しなんてつけられない。

だけど、どんな出来事も案外、

5年後には笑い話にできてしまうものだ。

世界で一番憎かった父親が僕にくれた夢。

父親になるという夢。

そんな心の中にあった夢がいつの間にか、
沢山の出来事とご縁のおかげでなぜだかカンボジアへやってきた。

そしてなぜだか、孤児院の子供達と出会い、共に生きることになった。

35人のお兄ちゃんでもあり、お父さんの存在になった時、
僕はこの子供達に夢を叶えてもらった気がしていた。
父親とはなんだろう?という疑問の答えを、日々教えてくれていた。

そして、絶対に忘れない出来事。

2018年1月20日に我が子が生まれた時の感動を僕は一生忘れない。

だってその瞬間、心から嫁と自分の母、
そして、今もどこかで生きているであろう父親に人生で一番感謝をした日だから。

36人の子供達とカンボジアという大好きな二つ目の故郷。

あの日、あの朝、僕の人生はすべてが変わった。
けれど、あの最悪な出来事は、

僕に自分らしく大切に生きる行き方をしろよという
両親からの一番のプレゼントだったと今は思えてしょうがない。

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