後藤勇太プロフィール

後藤勇太

「今日からうちにお父さんはいません」

20年以上も前の小学生の頃に朝起きたら突然母から告げられた言葉。

以来、ずっとずっと”家族”というもは何か?”父親”というものは何か?を考えながら生きて来ました。

小学校の頃から運動は大好き。
でも勉強は大の苦手。

周りの友達には、あの大学へ行くとか、
どこどこの専門学校に入って〇〇になるんだ!という将来の目標があるのに、
自分にはなく、いつも焦って、でもいつも余裕なふりをしていました。

自分の夢を話せなかった幼少期。

”サッカー選手になりたい!”

その夢も嘘ではなかったけれど、

本当は“お父さんに会いたい。そしてお父さんになりたい。”そんなことが夢でした。

高校を出て、大学に行くもすぐにやめ,
自分で仕事をする傍ら、夢だったことに挑戦。
22歳、英語も話せないのに思い切ってカナダにワーキングホリデーで留学。

日本とは全然違う環境で、言語や文化、そして人の魅力に心がワクワクし、
世界中を回ってみたいという夢が出来た途端、まさかのアクシデント。

歩けないという経験を初めてした。

椎間板ヘルニアと椎間板狭窄だった。

手術をしたけれどすぐさま再発。
長い長いリハビリ生活のスタート。

リハビリ中の留学中に出会った世界中の友達からのメールが頑張れるモチベーションだった。

リハビリ後、歩けるようになり世界の放浪をスタート。

ヨーロッパ、南米、アメリカ、をまわったのち、東南アジアのフィリピンで一つの光景に出会う。

昔、テレビで見たことのあったスモーキーマウンテン(ゴミ山)だった。

ゴミを拾って生活する人たち、犬やタロイモを食べてた子供達。

“このままじゃいけない。自分の人生、何かしないと”

そんなことを感じ模索する中、その次に訪れたのがカンボジアでした。

26歳の年。初めてのカンボジア。

それ以来、なぜだかこの国が好きになり、
ボランティアというものをして日本とカンボジアを行ったり来たり。
けれど気付いた時にはカンボジアが拠点となっていました。

物資を届けたり
物作りをしてみたり
“ボランティア”をしていたけれどなぜだかしっくりとこなかった。

「助けて!このままだと私たちバラバラになってしまう。」

そんなことを伝えて来てくれたのが、いまお父さん兼お兄ちゃんとして一緒に生活をしているソク孤児院のこどもたちだった。

たくさんの団体の支援があったこの孤児院も、気づけばスポンンサーがいなくなり、
カンボジア人オーナーが借金をして子供達を守ってきていました。

それでも、もうお金がつきどうしようも無くなっていた時に、助けを求めてきたのがここの子供達。

“助けるよ!サポートするよ!”
そう言ってきた日本人や外国人、団体の人たちは、離れて言ってしまった。

期待にあふれていた子供達
未来を信じていた子供達

何かしないと。そんな気持ちと、

自分一人でできるのだろうか?という不安。

それでも、ここの子供達と生きようと決めたのは

“信じてるよ”という子供達の声と母親の応援。

以来、母子家庭だった僕が、35人のお父さん兼お兄さんの生活がスタート。

そして、僕自身妻との間に2018年1月に子供を授かり、36人のお父さん生活がスタート。

お父さんになりたい。

小さい頃の僕の夢。

その夢を叶えてくれたこの土地で、僕の命ある限り、
僕に出来ることをとうして、この子たちの未来を見届けて行こうと思っている。

Do my bestじゃ足りないから、
僕らの合言葉はDo our best.

そして、どんな時でもNever Give Up.

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする